感動を生み出すキャラクターとは
メディア、特に広告の世界では「感動」という言葉がよくつかわれます。
よく、映画の宣伝やそれを特集した雑誌などで「感動巨編」「全米が泣いた」といったキャッチコピーをつけているものがありますが、ありふれていて見る人の関心をとらえているとは思えないものが多いですね。
スクリーンを見る観客がハンカチで涙を拭く場面を流し、映画館から出てきたところでインタビューして「涙があふれて止まりませんでした」と言わせるのもよくありました。
テレビではCMの前に「感動の○○はCMの後に!」という字幕を出して視聴者が他局の番組に逃げないようにしているのも見かけます。
「感動巨編」
「全米が泣いた」
「感動の○○は」
まさに感動のオンパレードですが、そもそも感動とはどういうものなのでしょうか?
「感動」とは心が動くこと
悲劇のキャラクターに同情して、涙がポロポロあふれて泣かされることや、ハッピーエンドの主人公に感情移入して泣いてしまうことだけが感動なのでしょうか?
一般に「感動」イコール「涙があふれてくるもの」と考える方が多いですが、観るものの涙を誘うことだけが感動ではありません。
目の前の出来事にハラハラドキドキすることも感動です。
胸が詰まって頭が真っ白になり、言葉が出ないほどになるのも感動です。
さまざまな感情が沸き上がって、心が高ぶる、胸が熱くなることも感動です。
表現はいろいろありますが、すべてひっくるめて一言で言ってしまえば感動とは「心が動くこと」です。
「感動」は極めて個人的な体験
言葉の意味として厳密に正しいかどうかはともかく、キャラクターの「感情」とは心の状態、心の有り様であると仮定します。
そして、キャラクターの「感動」は、その感情が動く、あるいは感情が変化することです。
では、その感動というのは、他者と共有できるものなのでしょうか?
映画館のように多くの観客が同じ場所で同じ映画を見て、同じ場面で同じように感動しているように見えても、それぞれの心の中の感情の状態は比較しようがありません。
あくまで、感動は個人の心の中で起こっていることであり、他の人には伝わりません。
他でもない自分の心が感動するから「感動」なのです。
極めて個人的な体験、内面的なことであって、強要できるものではありません。
だから、下手なテレビ番組やCMのキャッチコピーのように、視聴者に感動しなさいと強要することは無理な話なのです。
身近な例でいえば、友人から「○○(映画名)すごく感動するから絶対見に行った方がいいよ」と言われて実際に見に行ってみたら、それほどでもなかったという経験はあるでしょう。
映画だけでなく、小説、随筆、音楽、絵画など何かを鑑賞して「感動」するかどうかは、自分のそれまでの経験や価値観、その時の体調や精神の状態などでも変わってきます。
他の誰かが感動したからと言って、自分も感動するとは限らないのです。
キャラクターはユーザーの夢や希望を叶える存在
実は人間の心や感情は、肉体的なコンディション、さらにいえばホルモン分泌に左右されます。
外的環境からの様々な刺激や情報を脳が処理して、脳はホルモンを分泌します。
オキシトシンは愛情、アドレナリンは興奮、セロトニンは幸せ、ドーパミンは快楽など、脳から分泌されるホルモンによってさまざまな感情が沸き起こります。
人間の感情はホルモン分泌によって左右されていると言っていいでしょう。
映画やドラマ、小説、アニメ、演劇などの作者は、自分が創作した心の分身であるキャラクターによって視聴者や観客。読者などコンテンツを受け取るユーザーの感情を自在に動かします。
その際に、人の心を動かすということは、キャラクターを動かすことで、ユーザーのホルモン分泌にまでかかわっているのです。
つまり、キャラクターの基本は人間の本能にまで踏み込み、欲望や願望を喚起させることと言ってもいいでしょう。
もう少し美しい言い方をすれば、観る人や読者の夢や希望をかなえることと言い換えてもいいでしょう。
次回に続きます。